■昔のパチ屋(今のガキには分からない実話)■
財布の中が小銭でパンパンだった(今のパチ屋は小銭どころか1万円が30分で溶ける恐ろしい時代になった)
そもそも椅子が無く立って打っていた
店内で流れている音楽が大日本帝國時代の軍艦マーチやF1テーマ曲T-SQUARE TRUTHが流れていた
当たったら店員のマイクパフォーマンスがあった
店員がパンチパーマ
店員がツヤツヤのリーゼント
店員がグラサン
店員がタバコ吸いながら仕事
店員がかなり馴れ馴れしい
店員が客にタメ口
台を空けたら通路があり店員がいた
玉の補給は人が直接やっていた
明らかに見た目がガキだと店員に首根っこ掴まれて外に放り出された
ジェットに客が自分で流していた
箱交換も客が自分でやっていた(店員から忙しいからそれくらい自分でやれと言われるのが普通だった)
店員との口論、シバキあいが毎日のようにあった
爆4時代は毎日がお祭りだった
玉泥棒、コイン泥棒、釣り銭泥棒がいっぱいいた
トイレには空の財布がよく捨てられていた
窃盗にあってもセキュリティが甘く泣き寝入りが多かった
新装開店で転んで怪我する奴とかいた
コインサンドがすぐ詰まっていた
爆4時代のイベント日の前日はテント張ったり寝袋で寝ていたしストーブとコタツ持ってきて(発電機持込)で麻雀していた
パチンコ屋の駐車場で怪しげな奴が10mm玉とか売ってた(一発台で抜群の効果があったらしい)
閉店前から翌日の開店の並びが始まってた
メーカーの豊丸とAVの豊丸を間違える奴がいた
スロットのレバーについてる玉みたいのが取れてコロコロ転がってくることあった
スロットが出始めた時、コイン50枚ごとに紙に繰るんでカウンターで買ってた
「○時からワイワイワイコーナーの電圧をあげます!」と 店内にアナウンスが流れるとその島が即満席となりあっという間に5、6台が大当り(この頃から遠隔があった証拠)
店員が「店の玉が足りないので半分交換してください」って言ってた(それが今や箱積んでる人がいないというか、店が客に出さないから玉が大量に余りまくり)
周りを気にすることなく玉拾い人が普通にいた
玉を入れて出てくる自販機があった
グーテンバーガーの自販機が置いてある店があった
大当たり終わると店員呼んで鍵入れてリセットしていた
BIG後に店員がキー解除をしていた
ヤクザがゴネたら店員が台を開けて後ろをいじって数字が揃った状態で提供してた
夜にパチ屋に行くと必ず水商売のねえちゃんが玉を打っていた
信じられないだろうがこれらが当たり前だった
今のガキは知らないだろうがおっさんなら誰でも知ってる
でもこの時代のほうが店員も客も和気藹々して良かった
今のパチ屋は客から金吸い取るだけ吸い取っているからキモイぐらい超低姿勢で
客も昔に比べてギラギラ殺気立ってる
マイクパフォーマンスあったね。懐かしい。なんであんな意味無いことしてたんだろうか
普通に前科者がパチンコ屋の店員をしていた
現金機時代は多くの人がダニ村オカルトに一喜一憂していた(有名になったのはCR機から)
昔の1発台はドツキ、引っ張りOKの店があった(クルーン飛び込んだらすぐに常連の引っ張り名人呼んでた)
昔はホルコンなかったから釘調整ミスがたまにあった
新台日は必ず流血する奴が1人か2人いた(ダッシュで転倒など)
昔の羽根は不可解な玉の動きしなかったし磁石の役物がアレスチックゲームみたいなバランスがあった
最近の挙動おかしすぎる。いつから磁石役物禁止になったのか
「○○番連続開放願います」って店員の権限で開放延長サービスしてくれたりした
フィーバー機が初期のときにチャッカーの上に玉が引っかかり、ブドウ状態になったことがある
店員がそのまま打ち続けろ、と指図して10ラウンド終了時に玉をバンバンチャッカーに入れてくれた
昔はホールに入っても、ヤクザ紛いの店員がマイクで自分の肩叩きたながら、客を一瞥するだけだった
今のホールの若い女性店員が深々とお辞儀するけど、鉄火場ってそういうのじゃないんだよなあといつも思う
CRになってからイカサマっぽい感じがするようになった
パチンコがおかしくなったのは紛れも無く凸確や潜伏搭載してから
昔は数年に1回の台導入でもメーカーが小所帯で社員も少なく町工場みたいなもんだった
普通に893が打ちに来ていた
閉店後に店ぐるみで偽造パッキー使って玉出してた店が近所にあった
サンドの返却口に金が無いか乞食が巡回していた(今はカード、ICコイン狙い)
駐車場で裏ビデオを一本一万円で買わされた
換金所から歩いてきたら声をかけられネックレスとか時計とか押し付けられた
昔のパチンコはギャンブルでもあり軽い娯楽でもありました(今のパチンコは負け確定のエグいギャンブル)
昔のパチンコ屋は、新装、新台、18時オープンなど本気で出す日がありました(しかし今のパチンコ屋は、新装、新台ですらフル回収)
昔はラッキーナンバーさえ引ければなんとかなりました
出玉のない当たりなんてなかったし。今のパチンコは終わり。権利物やシンプルな台がなくなった
夜になると設定発表する店もあったりイベントだと設定確認させる店もあった
七枚一回交換設定6を所々に置いてるお店で一回交換札の無い台でクレ落ちして確定6を1日打てたのは良い思い出
朝は缶コーヒー、午後はホカホカのおしぼりと飴を一人一人に配ってくれた。夜は抽選でヘソガバ開き台を打たせてくれた
今はそんなサービスはなくなり紙のおしぼりが無造作に置いてあるだけである
ドル箱に防音シートないから、当たり時に手を添えていないと凄い音で隣でやられるとうるさくて死にそうだった
シナ畜のパチ荒らし集団がいた
たまに子供が普通に打っていた
昔はすぐ玉が釘にひっかかった
オレンジ味の四角い飴があった
フィーバーでパンクしてもアタッカーに玉を入れてくれて2400発くらいは頂けた
現金機時代のホール主任には人情があった
昔は忘れ物の100円ライターなどカウンターで貰えた(今のパチンコ屋はライターでさえくれないボッタクリ)
耳栓がタダだ貰えた
グランドオープンした店で、すべての台に5000円の入った封筒が置かれていた
3回権利物の閉店補償を狙って閉店間近になると権利物の島が満席になった
1日1回はドル箱ぶちまける奴がいた
ドル箱の底から玉を抜いて3、4箱重ねたまま流せるドル箱があった
金髪ロン毛鼻ピアス腰パンの店員が居た
警備員がいなかったので、店員が自転車を整列していた
ゴミだしや灰皿清掃も店員の仕事で、掃除機で灰皿清掃する店もあった
メダル補給の際に連チャンを消した、連チャンが消えたと騒いでる客がいた
勝率100%の時は、出禁になりそうだったり、ヤクザ紛いのチンピラ共にたかられた
昔はコーヒーレディがいなかった
大当たりすると台の上に赤い薔薇の造花を挿していく粋なホールがあった(10回当たると白い薔薇)
昔の台は下皿の球を抜かないと、すぐ球が飛ばなくなった
毎日日替わりのイベントがあった
店長オススメ台、本日爆発予想台などがあったが、ほとんど出なかった
一般台の本日予定終了台は空き台だと出なかった
即時解放する店だと2回以上、打ち止めされてる台をもらえば勝てた(ただし3回目の解放をしない店もあった)
昔は停電になると大当たりが無効になったので大当たり中のおっさんが激怒していた
誰も座ってない台からチンジャラチンジャラと聞こえ、座ってみるとドル箱一箱以上出てきた
どこかに引っ掛かって玉が出ないときが、しょっちゅうあった
昭和の頃はパチンコ必勝法なる単行本をパチンカーは必ず買ってた
40才以上専用の激甘シルバーシート台があった
まずレシートが無かった。 玉流すとこがカウンターしかなく、流したら景品もらってた
元はスロットマシンが葉巻やガムの自動販売機だった
板ガムの板からバーになったし、チェリーや7図柄は後からできた
フルーツが揃えばその味のガムが貰えた
タクシーの運ちゃんはパチスロ自体をナナと言ってた
アレンジマンを独占入荷して他店に売らせなかったチェーン店があった
BARが揃った時は小指を立ててベイビーという
バケに関しては①ビッグがレグに化ける②ロックンロールのレグ図柄がお化け
この2つの説があるが①説を唱える人の中にはロックンロール以前から使っていたと言っている
大当たり中玉が詰まって出てこなくなる事がよくあり自分で台の上をパカッと開けてホースの部分を叩いていた
真っ黒になった玉とかあった
閉店間際に確変継続してると翌日朝イチで確変中の台を打たせるサービスあった
川崎の店で主婦売春が見つかり数人が逮捕されたことがあった
出球貸し球中にビーチボールみたいに虹球仕込んでおいてそれカウンターにもっていくと数百円程度の景品の福引きがあった
そこそこ好評だったけど「出たのに拾えなかった」クレームとか通常日の回収が面倒ですぐ終わった
昔のジジババは優しい人が多かった
客が10人くらいしかいないお店で朝一に行くと玉1000円分サービス遊戯中は缶ジュースやみかんを配る っていた
昔の羽根物は4000発終了が基本で2.5円は3000発終了
役物がなかった
昔は1回交換の時に上皿に500円分ほどの玉を残して交換するセコい人がいた
1K40回ぐらい回る台とか普通にあった
コカコーラの自販機がほとんど無かった
客よりも店員が威張りくさっていた
呼び出しボタンを押して店員が来る前に消さないと店員に怒られた
隣に座った見ず知らずの人とも、息が合えば飲料のやり取りを行っていた
昔の休日はパチンコ屋に行くのが楽しみだったが今はその逆
パチンコ屋に併設されたスマートボール屋があった
自販機にはホームアップがあった
中高年が多く働いていた
昔は島の端っこに両替機を兼ねた玉貸し機が有って、極稀に残り9000円を取り忘れたw
台間サンドは基本100円玉でないと玉貸し不能なホールばっかりだった
JETカウンターから出て来たのは、帯状のパンチングリボンだった
スーパーコンビ等の一発台で、タイムサービス10000個を開催するホールが有った
遊技スタイルは基本1回交換で、無制限遊技はスロのAタイプだけだった そのため、パチは同じ台での20万勝ちは夢のまた夢だった
大半のパチ屋が寮完備で、夜逃げ君や前科者が店員となり、絶好の隠れ蓑になってた
平成に入った頃、三重県に宿泊出張に行ったらスロが無くて愛知県まで打ちに行ったw
パチもスロも呼び出しランプに大当り情報も回転数表示も無かった為スロは野生のカンで出る台を予想するしかなかった
博打場で低姿勢なんて誰も求めてない、という事は参加人口の激減が証明してる(おじきよりも、玉出せと言いたい)
台の灰皿に吸い殻が溜まってるかどうかで、台の良し悪しの判断材料になった
しかし個人のタバコ消費ペースによって根拠はない
上皿にタバコを押し付けられた跡があって溶けてた台が何台もあった
学生服のまま打てたが、抜き打ちで私服警官の巡回があるから上着だけは脱いでてくれって言われた
補導員が巡回してた(今でも覆面は巡回している)
パチンコ台のガラスを全部叩き割った人が新聞に乗ってた
そもそもプッシュボタンがなかった
小箱 800発 羽根物やチューリップ台に置いてある
1500発ぐらいの箱 大量出玉の羽根物の時によく見かけた中途半端な大きさ
2000発ぐらいの箱 フィーバー機はだいたいこれ
4000発ぐらいの箱 一発台や権利物
6000発ぐらいの箱 3回権利や一発台でも見かけた
中古台が5千円で買えた
数百円で遊べた時代の最大の理由は、完走率の低いオール13個戻しだったから
all10なら100円で2鳴きはしたから遊べた。マックスの15賞球は500円で1から2鳴きだった
羽根ものの話は100円35ヶ時代と25ケ時代が錯綜してしまっている
昔の上野はバチンカーには伝説の聖地だった
1990年前後のパチンコ界は、活気があって平和で熱くて楽しかった
玉が詰まる度にVに玉入れてくれてた(今は謝るだけで何もしてくれない)
小冊子の代わりに上板にリーチ案内が貼ってありました
オーナーの馬がG1勝ったらしくそのとき打ってた客全員にドル箱1箱ずつ玉配ってた
スロは回転早すぎて目押しが難しかった
ちんどん屋が駅前練り歩いたり 選挙カーみたいな新装時専用の宣伝カーもあった
今の台みたいに馬鹿みたいなハマりなんてなかった
中国人とか中東系の奴等が異常に多かった
店で小学校くらいの女の子がビッグシューター打っててワロタ
その子が当たったら店員のおっちゃんも「おー、上手だなー」とか言ってニコニコしてたしおまけに店内を犬が走り回ってるし何でもありだった
昔は台の建て付けが悪かったのでハンドルや下皿を引っ張ったりして自力で寝かせを変える事が出来た
正月は子供が打ってても怒られなかった
『ひらけ!チューリップ』
軍艦マーチに誘われて
三十五個の小さな玉に
望みをたくして きょうもまた
親指体操ひとはじき
オーッ ひらけひらけ
パッとひらけ!チューリップ
たばこの吸いがら たくさんあって
入口出口に近い台 そいつがねらいだ
開放台だ 汗ばむ右手をリラックス
オーッ ひらけひらけ
パッとひらけ!チューリップ
桜吹雪に機関銃 クギ師を相手の大勝負
受け皿いっぱい たまるまで
待っていてくれハイライト
オーッ ひらけひらけ
パッとひらけ!チューリップ
となりのオヤジは 次から次と
自由自在に出しつづけ
なのにおいらは八百円め
機械に負けてなるものか
オーッ ひらけひらけ
パッとひらけ!チューリップ
ポケット探って百円硬貨
これが最後だ 出さねばならぬ
その時奇跡か念力か
天に入ったセーフ玉
オーッ ひらけひらけ
パッとひらけ! チューリップ
前スレより
昔は町のあちらこちらに10円ポーカーの看板が立っていました
未だに何屋なのかわかりません
1ベットは確かに10円から出来るんだが、
MAXベットが1000円ぐらいまで賭けられる
それが10秒ぐらいの1プレイで溶ける
その代わり4カードとか出たら100倍ぐらいでリターンする
さらにダブルアップが出来るので、
成功したら結構なリターンがある
うちの近所の喫茶店で脳みそ焼かれたヤクザが、
万札ばんばん使ってた
勿論店側が遠隔操作できるのは言うまでもない
かなり突っ込んで熱くなったところでフォーカードを出して、
さらに搾り取られる
十円ポーカーや麻雀が至る所にあって
堂々と看板掲げていたんだから
おおらかというか、雑な時代だった
学生の頃、求人誌で行った先がポーカー屋だったな
店員に給料を出すと同時に「今日は店で遊ばせてやるぞ」と
払った給料を回収してたヤリ手の店長だった
働いている時間に遊べる!とバカが給料日に10万くらい負けていた
警察の手入れがあったら、俺もパクられていたのかな
3、40年前くらいはドライブインなんかに置いてある普通のメダル落としゲームも
メダルじゃなくて10円玉で遊ぶ仕様だった(中に散らばってるのも全部10円玉)
誰でも入れるからガキどもも熱中して小銭を突っ込んでいた
千円で20~25回は余裕で回ってたな
今はどこもこんな感じ
それなくても2万あれば1日遊べてたわ
7の付く日8の付く日など、本当に釘開け回ってれば苦もなく喰えた
今は2時間もたん
震災で変わったな
震災で高稼働優良店が死んだ時点でオワタ感があった
2010年代のパチ屋倒産はやばかった
ま2020年代の倒産には及ばないが
近所の店では1パチ専門店の稼働が上がりまくってた
終わるまで笑顔で見守ってくれた
それが何十年後にまで続くパチンカスの呪いの原因か…業の深い事だな
声優 大空さん 大和田さん
タマモクロス スマートファルコン
先ほど配信 https://youtu.be/YlAu1lCwUZ4
ゲスト 前田さん
ナイスネイチャ https://youtu.be/zIKGJAq3qt0
おつです
俺パチスロ一番打ってたのは4号機時代なんだが、
もう既にこのスレでスレチではないよな
あの頃はまだサンドに千円札入れてたけど、
今みたいに万札入れられてたら、
獣王とミリゴとコンチIVにもっともっと搾り取られていただろうな…
多分サラ金に手を出してたかもしれん
サラ金とサラリーマン金太郎がややこしいのは4号機世代なら分かるだろうが
6,5号機の客付き見てるとそれでも出玉には勝てないのかな、とも思うが
あれで店に余計な負担かけて客に還元できなくなってる
ギミックや筐体演出なんか初代慶次くらいで十分
時には日に20万以上負けることも
当時の沖スロも20万入れて21万出すような感じ
スロットハマってた年上の知り合いはフリーター多かったなそういや
ラブホみたいな目隠し状態で営業しててさ
一番出る、じゃなくて一番速いってのがトリックというか引っ掛けみたいなもんで
機械のスペックは上がってるけど入替え費用やコロナの影響等でホールの体力は大きく下がってる
単純な差し引きならマイナスだろう
現在ボーダープラスの台が存在しない店があったとしても皆さん驚かないでしょ?そのくらい出ない出せない取らせない業界になっちまった
それが今ではw
今じゃ考えられん
https://i.imgur.com/E0TIhPR.gif
懐かしいねえ、パンチ穴が開いたテープ?リボンだかを交換所のおばちゃんに渡してな
今アレなら偽造する奴出そうだね
いるいる。イライラする。
店長オススメ札とか設定1or3の札くらいわかんない
ナンパ成立してホテル入れば大当たりっていうなかなか斬新な台だった
セクシーショットっていう、パンチラ盗撮成功で大当たりってのもあったで
現在ならアウトやろ?
設定6イベントとかはもう鉄火場状態
閉店迄打っててそのまま次の日の開店まで並んでる奴とか普通に居たんでしょ?
俺自身もホール行ったその日にトイレで吊った奴がいるっての2回経験したし
出目がこうなら何回転以内に当たる確率が上がるみたいな
引用元: https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/pachik/1665493203/
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